長崎県にゆかりの韓国・朝鮮人
 
나가사키현과 연고있는 한국・조선인

                       
      長崎市の中島川に架かる高麗橋            白貞基が収監された旧長崎刑務所の門          初代大村藩主に殉死した朝鮮人秀山の墓                                                                              

1.朴堤上 박제상

2.オタ・ジュリア 오타 쥬리아

3.カウン・ビセンテ 카운 비센테

4-1.韓国キリスト教小史
     한국기독교약사

4-2.張周基 장주기

5-1.金玉均 김옥균

5-2.金玉均暗殺に関する新聞記事
    김옥균암살에 관한 신문기사

6.崔益鉉 최익현

7.白貞基 백정기

7-2.アナーキズムとは何か
    아나키즘이란 무엇인가

8.元心昌 원심창

9.小麦様 코무기사마

10.日遙上人 (余大男) 일요상인 여대남

11.カイヨ 카이여

12.高麗媼(中里エイ) 코라이바바
           (나카자토에이

13.李芸 이예

14.李康勳 이강훈

15.申維翰 신유한

16.姜弘重 강홍중

17.李従茂 이종무

18.竹屋ソーザブロー・コスメ
   타케야소자부로 코스메

「管理人より」アーカイブ 1

   「管理人より」アーカイブ1 目次

  ※平成25年12月~令和2年12月分収録

「管理人より」アーカイブ 2

   「管理人より」アーカイブ 2目次

  ※令和3年1月~


韓国の新聞より


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更新履歴


●管理人発行の翻訳図書

 [2014年1月31日発行]
      
    



 [2015年10月1日発行]
      
    

      

 [2016年10月18日発行]
      
      







      




    
                            
 
                        管理人より

   
                    口乃津でのキリシタン殉教事件      


  南島原市の口之津では、1641年に朝鮮人2名を含む22名のキリシタンが殉教しています。その経緯を見てみましょう。

  ・慶長14年12月12日~15日(1610年1月6日~9日)  マードレ・デ・デウス号事件発生
 
  ・慶長16年~17年   岡本大八事件発生

  ・慶長17年3月21日(1612年4月21日) 全国の幕府直轄地に対して禁教令布告

  ・慶長17年5月7日(1612年6月6日)   有馬晴信が処刑される

  ・慶長18年3月22日(1613年5月11日)  口之津のキリシタン42名が殉教を誓い合い連判状  

  ・慶長18年12月23日(1614年2月1日)   伴天連追放令

  ・慶長19年7月      有馬直純、肥前日野江藩から日向延岡藩へ転封 

  ・慶長19年10月6日・7日(1614年11月7日・8日)    宣教師・修道士・高山右近ら信者がマニラやマカオに追放される
 
  ・慶長19年10月21日~22日(1614年11月22日~23日) 口之津でキリシタン70名が迫害され、22名が殉教

 
  上記22名の殉教者のうち2人の朝鮮人について、レオン・パジェス著 『日本切支丹宗門史』上巻(岩波文庫)には、

 次のとおり記載されています。


 ・朝鮮人ミカエル   43歳。彼は戦役中に捕虜となり、長崎で洗礼を受けた。やはり捕虜となっていた1人の女のきょう

            だいを買い戻すために、数年間奉公していた。彼は口ノ津で結婚した。彼は癩病人に対して特に

            同情を持ち、病人を自分の家に連れて来て、自分の傍の爐端に坐らせて言った。

             『お前様方は私の兄弟です。お前様方が病気なので、余計お前様方を尊敬する訳です。』 

            彼は、天の幻想に恵まれ、妻をもっと熱心にするために、この事を妻に伝えた。

             彼は熊手で吊るされ、脚をおさえられ、脛を切られた。そして、彼は拷問中に息を引取り、次いで

             首を切られた上、遺骸はずたずたに切りさいなまれた。


 ・朝鮮人ペテロ    口ノ津に居住し、33歳であった。13歳の時から30歳の時まで異教徒の許で奴隷の身であった。

            彼は赤貧者で、家を持たず、又独身者だというので、名簿から除かれていた。彼は登録を願い出て

            きっととどけられた。彼は、イエズスの御名を呼び求めて祈ったというので、同じような損傷を

            受け、酷くいじめられた上に斬首された。


  ところで、22人が殉教した場所ですが、レオン・パジェス著 『日本切支丹宗門史』上巻によると、元イエズス会の天主

 堂の近くの墓地で拷問が行われたと記載されています。この天主堂、すなわち口之津教会は平成18年(2006年)に、

 大泊地区にある口之津公園付近にあったことが口之津史談会によって確定され、ここに「伝口之津教会跡」記念碑が

 建立されました。


   参考文献  

        「口之津の歴史と風土」  創刊号  口之津史談会  平成18年 

        「口之津の郷土史 拾遺」  大玄興正編  平成29年 





更新情報

21.令和2年 5月 24日    「竹屋ソーザブロー・コスメ」の項を追加しました。

20.令和2年 5月 20日    「申維翰」、「姜弘重」、「李従茂」の項を追加しました。 

19.平成30年11月 1日    「李康勳」の項を追加しました。

18.平成30年10月 9日    「李芸」の項を追加しました。

17.平成30年 1月 8日    「アナーキズムとは何か」の項を追加しました。

16.平成29年 12月 3日    「小麦様」の項で、西口松浦家と松浦隆信の墓地の写真を追加しました。

15.平成29年 10月 14日    「小麦様」の項で、「2.小麦様の出身地について」に文章を追加しました。

14.平成29年 7月 2日    「管理人より」アーカイブスの目次を作成しました。

13.平成29年 6月 9日    「小麦様」の項に「伝小麦様遥拝所」の写真と文章を追加しました。

12.平成29年 5月 3日    「小麦様」の項に「御部屋の坂」の写真と文章を追加しました。

11.平成28年 5月 4日    「高麗媼(中里エイ)」の項を追加しました。 



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