長崎県にゆかりの韓国・朝鮮人
나가사키현과 연고있는 한국・조선인
長崎市の中島川に架かる高麗橋 白貞基が収監された旧長崎刑務所の門 初代大村藩主に殉死した朝鮮人秀山の墓
1.朴堤上 박제상 ●管理人のプロフィール ●更新履歴 ●管理人発行の翻訳図書 [2015年10月1日発行] [2016年10月18日発行] |
管理人より 口乃津でのキリシタン殉教事件 南島原市の口之津では、1641年に朝鮮人2名を含む22名のキリシタンが殉教しています。その経緯を見てみましょう。 ・慶長14年12月12日~15日(1610年1月6日~9日) マードレ・デ・デウス号事件発生 ・慶長16年~17年 岡本大八事件発生 ・慶長17年3月21日(1612年4月21日) 全国の幕府直轄地に対して禁教令布告 ・慶長17年5月7日(1612年6月6日) 有馬晴信が処刑される ・慶長18年3月22日(1613年5月11日) 口之津のキリシタン42名が殉教を誓い合い連判状 ・慶長18年12月23日(1614年2月1日) 伴天連追放令 ・慶長19年7月 有馬直純、肥前日野江藩から日向延岡藩へ転封 ・慶長19年10月6日・7日(1614年11月7日・8日) 宣教師・修道士・高山右近ら信者がマニラやマカオに追放される ・慶長19年10月21日~22日(1614年11月22日~23日) 口之津でキリシタン70名が迫害され、22名が殉教 上記22名の殉教者のうち2人の朝鮮人について、レオン・パジェス著 『日本切支丹宗門史』上巻(岩波文庫)には、 次のとおり記載されています。 ・朝鮮人ミカエル 43歳。彼は戦役中に捕虜となり、長崎で洗礼を受けた。やはり捕虜となっていた1人の女のきょう だいを買い戻すために、数年間奉公していた。彼は口ノ津で結婚した。彼は癩病人に対して特に 同情を持ち、病人を自分の家に連れて来て、自分の傍の爐端に坐らせて言った。 『お前様方は私の兄弟です。お前様方が病気なので、余計お前様方を尊敬する訳です。』 彼は、天の幻想に恵まれ、妻をもっと熱心にするために、この事を妻に伝えた。 彼は熊手で吊るされ、脚をおさえられ、脛を切られた。そして、彼は拷問中に息を引取り、次いで 首を切られた上、遺骸はずたずたに切りさいなまれた。 ・朝鮮人ペテロ 口ノ津に居住し、33歳であった。13歳の時から30歳の時まで異教徒の許で奴隷の身であった。 彼は赤貧者で、家を持たず、又独身者だというので、名簿から除かれていた。彼は登録を願い出て きっととどけられた。彼は、イエズスの御名を呼び求めて祈ったというので、同じような損傷を 受け、酷くいじめられた上に斬首された。 ところで、22人が殉教した場所ですが、レオン・パジェス著 『日本切支丹宗門史』上巻によると、元イエズス会の天主 堂の近くの墓地で拷問が行われたと記載されています。この天主堂、すなわち口之津教会は平成18年(2006年)に、 大泊地区にある口之津公園付近にあったことが口之津史談会によって確定され、ここに「伝口之津教会跡」記念碑が 建立されました。 参考文献 「口之津の歴史と風土」 創刊号 口之津史談会 平成18年 「口之津の郷土史 拾遺」 大玄興正編 平成29年 更新情報
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