会津・白河旅行記 


                                                         平成26年9月13日~15日


  今年、生まれて初めて福島県の会津と白河をサークル仲間と一緒に旅行しました。その時の様子をご紹介いたします。

                      

9月13日

 1.南湖公園

    新白河駅に午後1時半到着。駅にAさんとBさんが迎えに来てくださり、駅構内で記念撮影。

  ホテルでチェックイン後、マイクロバスに乗って、南湖公園を見学。南湖の広大さと、今の時期に咲く

  睡蓮の可憐さに感動した。

   白河藩の藩主だった松平定信公を祀る南湖神社を参拝した。松平定信は寛政の改革で有名で、8代将軍

  徳川吉宗の孫に当たるそうである。公園内のお店で名物の南湖だんごを賞味した。とてもおいしかった。

  そこのお店のご主人が店の由来を話してくれた。参勤交代の時に一行がここの場所を通って行く時に休憩で

  立ち寄ったとか。そ
の後、鏡山で定信公が立てた茶室である共楽亭などを見学した。 




          

               松平定信公之像                                 楽翁公之像  


          

                南湖神社の社殿                            南湖に咲いた睡蓮



 2.白河関

     入口の前で記念撮影。杉の木の高さに感動。源義経の矢立の松を見て感慨深くなった。白河神社を参拝

  したところで雨が降りだし、急いでバスに戻る。その後、「従是北
白川領」という古い案内碑をバスから

  見学した。



               

                白河関跡の碑                               白河神社への参道




 3.小峰城

     残念ながら、震災後のお城の補修工事のため、お城を見学することができなかった。   

  天守閣もビニールで覆われていた。遠くからお城を眺めるしかなかった。驚いたことに、雨上がり後なので、

  虹が出ていた。しかもなんと、二重である。実にきれかった。




                       

                                   補修工事中の小峰城 三重櫓
                                  



        

                  三重櫓の写真                                   二重の虹

 

 4.白河戊辰見聞館

     白河戊辰見聞館はNPO法人しらかわ歴史のまちづくりフォーラムが運営する資料館で、松平容保や西郷

  頼母の掛け軸、飯沼貞吉や山川健次郎の書簡、スナイドル銃、火縄銃など貴重な資料を見ることができて、

  これも感動。(実は3日間どこもかしこも感動だった。)

  西郷頼母のかたつむりの詩と絵を直接見ることができてよかった。

  近くの白河ハリストス正教会を見学。中には入ることができなかったのは残念だった。




            
            白河見聞館内部の様子                               白河ハリストス正教会


 5.龍興寺

     入口の戊辰戦争絵巻白河之戦図見学後、寺のご住職さんから夕食をご馳走になる。

  特に、手打ちそばや、りんごピザは大好評だった。Aさんも自宅で作って来られた料理を提供してくださ

  った。とてもおいしかった。地元の方もご夫婦が料理を作って参
加してくださった。 

     途中から語り部の女性が仕事の終わって駆けつけて来られ、白河での戊辰戦争の模様を歌で語ってくれた。

  とても勉強になった。



   



9月14日

  6.大内宿 

  8時半にホテルを出発。途中、道の駅で、「奥会津 高菜昆布」ときゅうりの漬物を購入した。 

   自宅に帰ってから食べてみると、これがおいしいこと、おいしいこと! 予想したとおりだった。

  9時40分頃、大内宿に到着。昔ながらの茅葺き屋根の家が多数残されて
いて、どの家も郷土の産品を

  販売していて、大勢の観光客で賑わっていた。村の中央付
近にひときわ大きな建物があり、かつての問屋

  本陣を復元したものだった。中に入って
見学した。

  10時半過ぎに出発したら、駐車場は満杯で入りきれない車が、道路に延々と続いていた。


    


 
     

      大内宿町並み展示館



 7.善龍寺

  11時過ぎに善龍寺に到着。ここは西郷家の墓所があるところである。到着後、す
ぐになよたけの碑を

 見学。その後、西郷頼母夫妻のお墓にお参りした。お花が供えられておらず
、後ろの方には雑草が生い茂っ

 ており、あまり訪れる人が少ないように思われ、
気の毒な気がした。

    神保家の墓もあり、一緒に参拝した。伴百悦の墓もあるとのことだったが、見つけることができず、

 残念だった。場所は後からわかったが、後の祭り。竜宮城に似た門の前で
記念撮影。



            

             竜宮門 (1797年建立)                      なよたけの碑





                           

                                 西郷頼母・千重子夫妻の墓


   8.阿弥陀寺

   ここは新選組三番隊長を務めた斎藤一の墓があり、皆で参拝した。西郷頼母の墓と違い、街中にあるため

  訪れる人も多いせいか、斎藤一の墓には花が供えられてあっ
た。寺の前に会津新選組の会のノボリが建てられ

  てあった。

     その後、鶴ヶ城会館で昼食。会津名物のソースカツ定食を注文。やはりおいしかった。キャベツの千切り

  が丼の中に入っているとは思わなかった。昼食後、S先生が会館まで来られ、一同と合流。




       

     鐘つき堂                      斎藤一の墓



 9.会津若松城(鶴ヶ城) 

    S先生の引率でいよいよお待ちかねの鶴ヶ城を見学。わくわくしながら見学した。

  観光客が多く、白人の男女も見学していたが、英文の解説文があまりなく、わかるのだろうかと思った。

   一番上の展望所に上がり、市内を一望した。天気もいいため,ゆっくり展望を楽しみ、展望所を2周した。

  即ち、一望ではなく、二望したわけである。小田山や
飯盛山も見ることができた。小田山が意外と低いこと

  に驚いた。



         

           会津若松城の天守閣




  10.飯盛山

     この日のラストは、いよいよ白虎隊士の眠る飯盛山である。S先生はまず、滝沢本陣跡を案内してくだ

  さった。まさか、飯盛山のすぐ麓にあるとはつゆ知らず、訪問するこ
とができてラッキーだった。

  白虎隊士はここから出発したわけである。白虎隊十九士の墓を
参拝。お墓を間近に見ることができ、感慨深

  く思った。静かに手を合わせ、冥福を祈った。
ローマから記念碑が送られていることに興味が湧いた。

  ドイツ関係の史跡もあった。


     その後、自刃現場へ向かう途中、飯沼貞吉のお墓を参拝。そして、いよいよ自刃の地に到着。

  荘厳な感じがし、慰霊碑の前で手を合わせる。ここからはなるほど、鶴ヶ城が
遠くに見えた。やはり何か

  感慨深いものを感じた。



      

              旧滝沢本陣                                 白虎隊十九士の墓





    

                                                     松平容保公の歌碑







          

          自刃の地に建てられた慰霊塔                       自刃の地から市内を望む




   11.東山温泉

     この日の観光が終わり、東山第一ホテルがある東山温泉に到着した。東山温泉は土方歳三が白河の戦いで

  負傷して、傷を直したところであるとKさんが教えてくれた。壁に土方歳三の名前を書いたホテルもあった。
 
  写真で見る土方歳三はなかなかの男前で、土方歳三の女性ファンは多かろう。
東山第一ホテルに到着してしば

  らく休んでいると、昨年1月長崎で日下義雄の説明板建立式があった時、会津坂下町から駆けつけて下さった

  日下義雄の縁者 Iさん・Uさんご姉妹がホテルを訪ねて来てくださった。久しぶりの再会でお互い喜び合っ

  た。お二人ともお変わりないようでなによりだった。

     日下との縁をよく聞いてみると、日下義雄・石田和助の父親の石田龍玄は石田家の分家だそうで、Iさん・

  Uさんご姉妹は石田家本家の生まれだそうである。Iさんは夫が養子に入ったくれたということは長崎で聞い

  ていたが、日下義雄も本家だとばかり思っていた。いや、本家とか分家とかいうものは頭になかった。

  お土産に喜多方のお酒をいただいた。たいへんありがたかった。別れる時、ホテル内で記念撮影。

  とても名残惜しく感じられた。     





    

           東山第一ホテル


9月15日

    12.会津藩主松平家墓所

     8時半にホテルを出発。S先生が先導して東山温泉街を通り抜けて行った。そうこうするうちに、バスは

  会津武家屋敷の駐車場で停まった。S先生が車を駐車場に停め、我々のバスに乗り込んだ。そして、バスは

  武家屋敷の前を通り抜け、山道を登って行った。S先生によると、松平家墓所まで正式の道を登って行くの

  はきついので、裏門から入るのが楽なのだという。そこで、裏門目指してバスで山道を登って行ったのであ

  る。S先生がこのあたりだというので、みんなバスから降り、バスは武家屋敷の駐車場まで戻って行った。

  ところが、S先生の記憶違いで裏門はどこにもなく、まだ上だということがわかり、山道をさらに
数百メー

  トル歩いて行った。S先生は我々よりスタスタと先頭を歩かれるが、お年は現在85歳なのだといい、毎日

  1万歩以上歩かれるのだという。すごく元気だ! 感心せずにはいられない。

     10分くらい歩いただろうか。やっと、裏門に到着した。入ってみると、どーんといきなりどでかい碑石が

  現れた。背の高い碑石に何やら漢文がびっしり書かれてある。最初に目にした墓所は第8代 容敬の墓所だっ

  た。ここ「国史跡・会津藩主松平家墓所」は山の斜面に遺体が埋葬されており、斜面の下の平地に碑石が建て

  られていた。そのスケールの大きいこと、大きいこと。さすが23万石の藩主だけのことはある。昔、対馬に

  勤務していた頃、宗家の墓所「万松院」を何度か訪れたことがあるが、その規模の大きさはとても松平家墓所

  とは比較にならない。松平家墓所はひょっとしたら、日本一大きい墓所なのではなかろうか。

     
     裏門から一番遠いところに、あの9代藩主 容保公の墓所があった。ここだけは歩いて墓域まで行くことが

  できた。お花が供えられてあった。手を合わせて参拝した。帰りは、正式の参拝道を歩いて下って行った。

   なるほど、坂は急で、ここを往復するのはかなりくたびれることだろう。S先生が案内してくださって本当

  に助かった。

 

        

          山の斜面に建てられた歴代藩主の墓                 藩主の事蹟を刻んだ巨大な碑石


       

    亀の形をした亀石と呼ばれる台座は死者の霊を護るという                 松平容保公の墓
    中国思想の影響を受けたもの

   13.会津武家屋敷


     会津武家屋敷は総敷地面積が約7,000坪もあり、実に広大である。その中に会津藩家老の西郷頼母邸

  が復元されており、敷地面積はなんと2,400坪に及んでいる。

     
     まずは、西郷四郎像をカメラに納めた後、いよいよ家老屋敷の表門を通る。さすがに筆頭家老の屋敷だけ

  あって、風格があるなあと思った。藩主が来た時だけ使用されるお成りの間を始めとして各部屋を外から

  覗いて回った。土蔵を利用して作られた会津歴史資料館を見学。中野竹子が書いた「静夜思」という私の

  知っている李白の詩など貴重な資料がたくさん展示されていた。特に、山川浩が西南戦争に出陣する際に

  書いた詩には心を動かされた。使用人たちが住んでいた長屋には西郷家一族の自刃の場が再現されており、

  胸を打たれた。特に、土佐藩士中島信行が息も絶え絶えとなった頼母の長女細布子から「敵か味方か」と

  問われ、「安心せい、味方じゃ」と答えてやり、「介錯を」と頼まれるくだりの説明文を読むと涙が出て

  しまった。本当にチケット売り場でもらったチラシにも書かれてあるように、涙を誘われるコーナーであっ

  た。合掌し、冥福を祈った。 

     武家屋敷の敷地の一画に坂本龍馬を斬った佐々木只三郎の墓があるよとKさんから教えてもらい、そこを

  参拝した後、写真に納めた。 




      

               会津武家屋敷                            復元された西郷頼母邸の表門




       

                          西郷頼母の養子となった西郷四郎の像




        

                槍の間




                          



  14.日新館


     会津武家屋敷の観光を終えた後、次は日新館へ向かった。そんなに遠くないところにあるかと思っていた

  が、なかなか到着しない。初めて訪れる者にとっては武家屋敷からずいぶん離れたところにある感じがした。

  はっきり言って市内からあまりにも遠すぎるのではないかと思った。しかし、この思いは日新館に到着して

  みて、やむを得ないのかなという考えに変わった。日新館は1803年、鶴ヶ城の西側に建設されたが、

  東西226m、南北116m、面積は8000坪もあったという。戊辰戦争で消失後、昭和62年に現在地

  に完全復元されたそうだが、これだけの広大な土地を市の中心地周辺に確保するのが困難だったであろうこと

  はすぐに推測できる。ただそれにしてももっと近くに建設してもらいたかったと思う。

  日新館の門の前で記念撮影。

     映写室で短いビデオを観覧後、順路に従って見学した。東塾では素読所のところで、子供たちが先生に

  ついて論語などを勉強している場面が蝋人形で再現されていて、よくできていると感心した。同じ儒教文化

  圏の国である韓国や中国の多くの人たちにもぜひ見学してもらいたいものだと思う。大学という建物で磐梯

  山がきれいに見えたのでカメラに収める。天文台にも登った。砲術場を通り過ぎたところで、S先生が面白い

  ことを教えてくださった。「狼煙」の語源についてである。狼の糞を混ぜて燃やすと煙が真っすぐ上に上る

  のだが、そうでないと煙はまっすぐ上に上らず途中で曲がってしまうのだという。それで狼煙を上げる時は、
 
  狼の糞を混ぜて上げるようになったことから「狼煙」という言葉が生まれたのだという。

  水練水馬池は日新館でも有名な場所なので、一度見ることができてよかった。何でも最近、
映画の撮影場と

  して使われたという。ここの職員らしき人がそう教えてくれた。日新館を見学できて大きな満足感を味わい
 
  ながら、次は土津神社へと向かった。



        

              日新館の表門                             時を知らせる太鼓がある戟門





         

                素読所の様子




         

            天文台から見た磐梯山                               水練水馬池





                         

                                  天文台から見た日新館内の建物


  15.戸の口原古戦場


    12時をとうに過ぎており、昼ごはんを食べる時間ではあったが、新幹線の時間まであまり時間がないこと

  から、昼食は後まわしにし、先を急いだ。途中、白虎隊士が奮戦した戸の口原古戦場を見学。白虎隊士の

  必死の活躍に思いを寄せた。
途中、広いそば畑があり、ちょうどそばの白い花が一面に咲き誇っていた。

  見事に咲いていて、Yさんがさかんにカメラのシャッターを切っていた。車中から見える猪苗代湖の風景も

  よかった。山もいいが、海辺の町で育った私としてはやはり海や湖の方が好きだ。心がひろびろとした気分に

  なるというか、胸がすっとするのである。




    

        白虎隊奮戦の地・戸ノ口原古戦場               戊辰戦役滝澤峠戸ノ口原両軍殉難者九十八士 供養塔  




                      

                                  そばの花がきれいに咲いていた
                              

   16.土津神社

   ついに土津神社に到着した。最後の観光場所だ。土津神社は言うまでもなく、会津藩初代藩主 保科正之公

  を祀る神社で、1675年に創建されたそうだ。「土津」は正之公の霊号である。鳥居をくぐるとすぐ右側の

  敷地内に巨大な碑石がそびえ立っていた。これは「土津霊神之碑 」というもので、正之公の行跡を記載した

  ものである。高さは7.6mもあり、その大きさには圧倒された。松平家墓所の歴代藩主の碑石も大きくて

  びっくりしたが、さすがに初代藩主の碑石はさらに大きかった。松平家墓所のものより、2、3m高いように

  思われた。神殿は戊辰戦争ですべて焼失したが、社殿は1880年(明治13年)に再建されて現在に至って

  いる。社殿で参拝しての帰り、社務所に立ち寄って記念にお守り袋を購入。

   保科正之公のお墓は山をもっと登ったところにあるそうだが、時間もなかったので見学するのは不可能で、

  そのまま、郡山駅へ向かった。




         






               
                               

                                   日本一大きい石碑  高さ7.6m




  17.郡山駅

      郡山駅に無事到着し、遅い昼食をとったのは午後3時だった。新幹線が出発するまで30分しかなかった

  ので、全員調理に時間のかからないざるそばを食べた。白河や会津で食べた時もそうだったが、私にはそばが

  固く感じられた。KさんだったかYさんだったか忘れたが、こちらのそばは8:2だと教えてくれた。

  もちろん、8がそば粉で2が小麦粉である。後で調べて見ると、この割合で作られたそばを「二八(にはち)

  そば」と呼ぶそうである。だしがよく冷えていたので、いっそうおいしかった。

   

 以上が初めて訪れた白河・会津旅行の概要である。旅行の企画から、ほとんどの予約、現地での入園料支払い、

ガイドなど一人で何役も務められたKさんには心からお礼申し上げる次第である。また、白河ではA氏、会津では

S氏にたいへんお世話になった。いつ、この御恩を返せるかわからないが、できれば長崎でお返しできたら幸いに

思う。





                                             トップページに戻る